haru_z1kのブログ

30年勤めた国家公務員を中途退職し、ボリビアで中山間地農業をやっていましたが、実家の事情で急きょ帰国しなければならない羽目に...。ボリビアには当分戻れそうにないので、これ以上ボケが進まないように、ニュースや生活の中から頭の体操をしていこうと考えています。

2014.08.05笹井氏の自殺

2014.08.05は、いろいろな事がありすぎて、頭の中を整理するのにだいぶ時間がかかってしまいました。ちょうどアメリカの戦争について考えていた時期で有り、「情報リテラシー」について、きちんと教育現場で取り入れていく必要があるなんて考えていると、朝日新聞が30年以上国民を謀っていた事実を公表したり、そして、理研の笹井氏の自殺です。

再生医療実現に向けて、iSP細胞研究の第一人者であった笹井氏がお亡くなりになったことに、心からお悔やみを申し上げ、哀悼の意を表します。

小保方さんの問題発覚以来、NHKを含めたマスコミ等の報道があまりにひどいので、関連記事については極力見ないようにしていました。

私自身は、宇部高専の卒業研究論文の他、飼料研究報告に掲載された4つの論文を発表させていただいていますが、国連時代に、農業関係と地球温暖化に関する論文は相当数読ませていただいています。農林水産技官として実際に研究者の方々のお手伝いを手弁当で行った経験もありますし、マレーシアとインドネシアではイギリス留学希望者の研究論文について助言した経験もあります。

実験ノートに特定のフォーマットがないのは実験の目的によってフォーマットを変えなければならないためで、数十から場合によっては数百ある実験結果(写真・グラフ等)から、実験結果を最も良く表現しているものを選択して、論文に使用するのも常識です。失敗も含めて全てを記載した論文なんか世界的に存在しません。

 

【個人的には失敗データは極めて重要でデータベース化したいと考えていました。失敗に費やす時間と費用は莫大で、私の場合、比率で行けば成功1に対して失敗9という具合で、失敗に至った経緯や要点をまとめて情報共有すれば、若い人達が同様の轍を踏まずに済む若しくは踏んだとしても回復に要する時間は短縮できると考えたからです。残念ながら飼料研究では博士号を持つIに反対されて実現はできませんでした。その理由というのが研究は師事して学ぶもので、情報共有するものではないという時代錯誤の発想でした。】

 

それでは、実験ノートに記載するデータとはどういうものでしょうか。

 

簡単な分析器機を使用した実験室で行う実験については、実験を行った年月日、天気、室温の他、実験に用いる試薬・器機・消耗品等の使用開始日やロット番号を記録しておくことが必要になります。そして実験操作のフロー図です。試験の操作手順をプログラム作成の時に作成するフロー図のようにしてフォーマット化しておきます。そして実際に試験したとき加えた試薬の濃度や分量をチェックしたり、普段と違う反応があったときにその事象が起こったフロー図の場所に書き込みます。フロー図の作成方法は学生時代に学んだ記憶がないのですが、私が農水省の検査所に入所した当時の実験ノートには既に記載されていました。

今では、試薬の開封日や器機の消耗部品については試薬瓶に直接シールを貼ったり、試薬棚や器機にノートを備え付けて記録しておけば問題ないので、実験ノートには記載する必要はなくなりました。

また、ひとつの試料について最低2点並行で試験を行うようにすることによって、試薬等のロット番号等も実験ノートに記載する必要はなくなりました。並行試験というのは,実験に使用する器具や試薬だけを変えて全く同じ操作を行うことによって実験の精度を上げる方法です。共同研究室を設けて全く同じ試験をしてもらうと更に精度を上げることができます。

そのうえ、今では、全ての測定器機にコンピューターが接続されており、データが保存されるようになっていますので、測定条件等が記載された測定結果だけをプリントアウトして実験ノートに貼付しておけば良いようになりました。ハードディスク等はいつ壊れるか分かったものではありませんから、プリントアウトして保存しておきます。

簡単な試験の場合、実験ノートに載るのはフロー図と測定データだけということになりますね。

 

しかし、これが生物を使った実験となると、生物個体の能力が影響してくるのでもっと大変です。私が行った種子を使用した栽培(ほ場)試験では、まず種子を大きくて重い発芽率の高いものだけを選抜して、数百個の種子からなる試料群を作ります。これにより種子の個体差の影響を無視できるようになります。私は国連でのプロジェクトでは同一の試料群を使用した区を五区用意しました。先ほど並行試験と記載しましたがこれが五点並行となるわけです。そして、試験結果の1番良い区と1番悪い区を除外して、試験データに普遍性を持たせるようにしました。

その他、水温や気温について24時間データを記録するデータロガーという装置を用いたり、稲の生育で重要な分げつ期・数、幼穂形成期、籾数、病害虫の発生等の記録も必要になります。面白い記録では、フィリピンのある水田で、モグラによって穴が開けられ水位が一時的に下がったという記録まで残してありました。

これが微生物や細胞を使用した試験では、「群」の元気の良さ・調子というのも試験データに影響します。飼料研究では微生物を用いた試験も行うことがあるのですが、先輩方は微生物の試験管を見ただけで、その微生物の調子の良し悪しを判断できていました。私は匂いを嗅がないと判断できなくて、匂いを嗅いだ後、良く下痢してました。使用していた菌にサルモネラO157もあったので、下痢は精神的なものなのですが(感染したのであれば間違いなく病院送りです)、微生物や細胞を使用した研究は研究者の「経験がものをいう」世界なのは間違いありません。誰でも再現できるのは確かに理想ですが、まだ、そこまで到達していないというのは知っておいてもらいたいものです。

そしてこれらを実験ノートに全て記録しておくことは一般的に難しい.....

なのに、実験などしたこともない記者やマスコミ、テレビのコメンテーターが知ったかぶりで話をするので極めて不愉快でした。あげくに笹井氏については、昔、女性にふられたことや小保方さんとの関係を臭わすような不快な週刊誌まで出てきて、とうとう自殺まで追いやったと感じています。これでSTAP細胞が見つかったとき、マスコミ関係者は責任を取るつもりがあるのでしょうか。

 

小保方さんのデータ管理の悪さについては、私自身強く感じているので弁護するつもりはありませんが、現在、様々な研究機関で研究に従事している人でどれだけの人が、きちんとデータを管理できているのでしょうか。私が知る限り、データ管理ができている人はごく一部です。少なくとも大学を出てすぐの研究者でデータ管理できる人にはひとりも出会ったことがありません。

国連のプロジェクトでは、博士号を持った研究者だけがカウンターパートとして選抜され、彼らの能力を知るために彼らの発表した論文を必ずチェックしたのですが、稲の試験でも3点並行というのが当たり前で、中には私が質問した論文に掲載された試験について、きちんと受け答えできない博士もいました。欧米や途上国では、試験や実験は「技師」(高校すら卒業していない者もいました。)がおこなうのであって研究者が行うものではないからです。

そう言えば海外の農学博士と日本の農学博士を比べると日本の農学博士の方が遙かに優秀だなと感じたのを覚えています。ただし、私が師事した農業環境技術研究所農水省の先生方だけで、海外で出会った某大学の農学博士には人間的にもどうかという人も居ましたが・・・。

博士号といえば、身内の恥ですが、稲の試験について、全くの素人が設計した重金属に関する試験が行われたことがありました。十分なスペースがないというだけで、稲の試験なのに、並行試験をひとつも持たない試験でしたが、試験に携わった当時の同僚で、それに異議を唱えたものがひとりもいなかったのです。その中には、稲の専門ではありませんが飼料研究で博士号を取ったSまでいたのです。

試験の不確定要素から最低限の試験区数を決める試験設計の是非すら判断できない者でも博士号がとれる。そして、世界的に見れば、自分で試験したことがないのに博士号を持っている人が大勢いる。彼らにとって、実験ノートとは何なのかを考えれば、日本のマスコミが大げさに騒いでいることが的外れなのは分かると思います。

 

小保方さんが博士号を持っていることや博士号を与えた早稲田大学に批判する人もいますが、博士号という肩書きを持っているのといないのでは世界的な信用度も全く違います。私が参加した国連のプロジェクトでは、マレーシア側の研究者であったDr.SamyやDr.Xavierが協力してくれたおかげで、マレーシアでは、うまくプロジェクトをまとめることができましたが、フィリピンでは、水田で陸稲の品種を使われて試験が失敗しました。そのばかげた試験を承認したのは、私の上司であるイギリス人の農学博士Dr.Wでした。彼は麦の研究者でしたから、水稲の試験については素人だったのですが、マレーシア、フィリピン、インドネシアの三カ国で試験設計した私に、博士号をもっているかとしつこく質問していたのを覚えています。

試験設計を変更させたフィリピンの女性研究者は、私がフィリピンでフィリピン側カウンターパートと合同で試験設計した際も、新しく開発された陸稲品種を使用するよう求めてきましたが、その品種が開発された時のデータを見ると、肥料感受性が強く、水田で試験した場合、倒伏・病害虫発生の危険性が高すぎたため、そのことを説明し、全員の同意を得た上で試験から外しました。それが、プロジェクトが開始された直後、新しく着任したDr.Wに取り入って、試験設計を変更させたのでした。フィリピンでは、プロジェクトのカウンターパートの中でも下位に位置していた彼女が、試験計画を変更させることができたのは、イギリス人上司と同じ大学で博士号を取っていたことが強く影響していたのは間違いありません。この試験区が全滅すると判った直後、フィリピン側の一番上位のカウンターパートであったDr.Eから、直接、事情を聞く機会がありました。試験開始直後にフィリピンを訪問したDr.Wが、女性研究者の意見が採用して既に移植可能な状態にあった水稲を破棄して、陸稲で再試験するよう指示したため、変更を試験計画者である私に相談してから行った方が良いとDr.Wに助言したところ、Dr.Wは私が博士号を持っていないことを理由にその必要がないと言ったことも教えてもらいました。女性研究者にも話を聞き、試験が失敗すると判っているのに何故変更したのか問い詰めましたが、Dr.Wに相談したらOKが出たので何とかなるのだろうと思っていたと悪びれることもなく話してくれました。

私が博士号を持っていたら、この無様な失敗はなかったのだろうと今でも思うときがあります。

私が思うに博士号は単なる「肩書き」です。

博士号を持つ者に対して過度の期待をすることはやめた方が良いと思います。そして、日本だけ博士号の資格を厳しくしたのでは、世界で渡り合うのは難しくなると思います。もっと若い人に博士号を取得させる取り組みが必要だと思います。

そして博士号を持つ年寄りの弊害を除きましょう。具体的には、博士号の資格を10年ごとに更新する免許のようなものにして、活動していない人からは肩書きを剥奪するようにしてはどうでしょうか。

 

笹井氏が若い研究者のために尽力していたという記事がありました。本当に残念なことです。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41446